請願

もう無理なのかも。私は誰かのつらい時に誰かが大丈夫になれるように出来るだけのことはきっとしてきたつもりだけど、その誰かは私がつらい時に一緒にいてくれない、多分。他者の痛みに寄り添ってばかりで、それなのに私の痛みには寄り添ってもらえない。ということに気付いてしまったら涙が止まらない。どうでもいい人の慰めなんて何も欲してなくて、助けてほしい人にそばにいてほしいってだけなのに、どうして叶わないのかな

多分私は他者のつらさに目を向けることで自分のつらさを忘れようとしている。嫌なことを自覚したところで誰に甘えても何も解決しないって理解してる。でも他者が絡むから私ひとりでは解決できない。あのね、私の方が立場が強いように見えてほんとはそんなことないよ。言ったら終わっちゃう気がしてるから黙ってるだけなんだよ、だから実はきみの方が強い。でも問題は解決しないからこれは真綿で首絞めてるのと同じだよね。気を遣ってるって言えば聞こえは良いけど本当に正しいのかな?私だって普通に人間だし傷付きもするしむしろ脆い方だと思ってるけど、きみはそれを考えてくれてるのかな?結局きみがやってるのは自分の欲求を私に押し付けてるだけで全然優しくないし、私のこと自分の願望を叶えてくれる人だとしか認識してないよね。そこに私の意思は全く考慮されていなくてずっと耳元で死ねって言われてる気分だよ 良かったね!私はちゃんとずっとずっと死にたい気持ちでいっぱいだよ

誰に向けて言ってるのかわかんなくなっちゃった。いま私の胸を占拠してるドロドロの赤黒い気持ちは誰に対する物なんだろうね。憎しみであり、愛情でもある。ならこれはきみに向けたものだね。私は愛憎が対極の概念だとか表裏一体だとかは思わないよ。ただそこに共存しているものたちだと思う。でもこうなったらおしまいなんだよね、何もかもね。感情は愛ですらも大きくなりすぎると失敗する。だから私はもう誰ともわかり合いたくない、最期には必ずこうなるのがわかってるのに、なんでいつもこうなっちゃうの。きっと期待したんだよね、でもその期待は正しかったよね、私たちは完全に理解し合えたと錯覚できたから。それでもやっぱりダメなもんはダメだね。他人だから100%完全にわかり合うなんて出来ない、例えその相手がきみであっても。輪廻転生を信じてるけどさ、ヒトは生まれ変わるときに修行としてこの世界に送り出されるらしいよ。本当に正しいと思う。愛情なんてものがあるからいらないものまでみえてしまうし、人間は欲深いから要求がエスカレートする。純度100%の愛情なんて存在しないんだよ、他人と完全に一致出来ないのと同じで。だから、お願いだから、私が気を遣っているのと同じように私にも意識を向けて。お願い。

最近よく昔のことを思い出す。私が今なぜ私であるのかということを考えると必ず頭をよぎる時期が存在する。何千回も泣いて手首には猫の引っかき傷が出来て一生分の執着を彼に捧げた。この頃から中途覚醒が顕著になって体重も減った。恋愛なんて眩しいものでは到底なくて、共依存の末の上下関係、というのが私たちには相応しかったと思う。間違いなくこの世の終わりにある淵の色をしていた。いつかは優しかった頃の彼に戻ってくれるはずって信じていたけど、優しかった頃の彼なんてのは彼自身が創り出した虚像に過ぎなくて、私はどこにも存在しないものをずっと信じて心の拠り所としていた。もちろん私が大好きだった彼は二度と戻ってくることはなかった。それでも私は断片的な彼を実体から見出しては泣いていた。他の全てを犠牲にしてもいいと本気で思っていたし、彼が今から死ぬから一緒に死のうと言ったらたぶん一緒に死んでいた。今の私からは考えられないよね、きっとね。彼にはカリスマ性があったんじゃないかな、私に効果てきめんの。知らないけど。もう二度と会うことも連絡したりされたりすることもない(連絡先を知らないので)し、今彼が生きてるのか死んでるのかもわからないしどうでもいいけど、それでももし連絡が来たら私は自我を保ったままでいられるか自信が無い。いや、ギリ私の自我が勝つんじゃないかな、という感じ。
そういう経緯でもう二度と誰にも執着も嫉妬もしたくなくて、穏やかでいたい。関係性として。一方で俺みたいな人間は子どもをつくらない方が良いと彼は言っていたけど、同じように私は誰とも一緒にいてはいけないとも思う。人格のすべてとは言わずとも根幹の部分が完全に侵食されてしまったような気がしている。

 

うーん、何が言いたいのかわかんなくなっちゃった。まあいっか。
私には関与できない関係性を持っている人と付き合っていくのって地味に傷つくんだよね。あと、年下なのに初対面でタメ口きいてくる奴は男女関係なく嫌い。

夏休みとか年末とかが迫ってくる度にその先自分が生きられている気がしない。ここでもう死んでしまうんではないかとありもしない妄想に声を上げて泣きたくなる。雨は眺めていると静かで暖かいような錯覚を覚えるけど、雨音、特に梅雨時のものは私を襲い、ずっとそこに居なければならないと強制されるような感覚を持たせて焦燥感でいっぱいになる。他者の広げる傘が並んでいる姿は美しいと思う。置き去りにしないで。鬱々とした気分になる。
ずっと春のままだったらずっと自分のことも好きでいられたのかもしれない。春は暖かいし、穏やかだし、実際は違ってもずっと私のそばに居てくれるような気がするから。母性すら感じる。生まれてから死ぬまで歳の数しか春は訪れないけど、私は春に会うために生きているのかもしれない。どうかこれから先も最悪な思い出で汚してしまいたくない。冬に嫌な思いをするよりも春に嫌な思いをするほうが絶対につらい。となると、嫌な思いも吸収してくれる冬の冷たさは救済なのかな。春に対する感情は信仰なんだろう。出来ることなら死んでしまうのも春がいい。
死について考えるけど、別に死にたくない。病気も怪我もしんどいからしたくないし。なるべく平穏に過ごしたいし、怠惰なので家から出たくない。でも全てから逃げ出してしまいたいので、どこか遠い、その土地の人間誰も私のことを知らない土地に行きたい。これずっと言ってるけど。私のことをもっと考えてよって言うのは傲慢なのかな。みんながそれぞれに酷い。私だってそう。だから罪悪感と周りへの嫌悪で吐き出しそうになる。また人間が嫌いになる。大好きなのにずっと一緒にいられそうにないような人ばかり好きになるのはどうしてなんだろう。それでも私はできるだけ子犬のように在りたい。ねえ、私はどうすれば良かったのかな?今までずっと間違えてきたことをよく理解しているのに、どうして間違いを増やしてしまうんだろう。こういうことをずっとずっと四六時中考え続けていたら私はもう既に自分をボロボロに破壊してしまったような気がするんだ。狂信と盲目と溺愛の違いを説明出来る?それで愛が薄れたらどうなっちゃうのかな?残るものはあるのかな?

もう別れて会えなくなって年単位経つきみが夢に出てくる現象になんて名前をつけたら納得できるのかな 学校で横顔がきみに似ている人に関わってから薄ぼんやりと思い出してしまったんだと思うよ 今元気かな 元気でいると私は嬉しいよ、きみはきっとずっと変わらず自分の絶望の中に在ると思うけどね きみがどうしてるのか気にはなるけど一々確認しようだなんてもう思わないし、願わくばもう関わりたくない 過去に戻れる権利があったとしても今の私は破り捨てられると思うな それでももう会えないきみに想いを馳せる行為はなんて名前がつくんだろうね 世間は執着って名付けるかもしれないけどそれもまた違うと思うんだ。愛でもない。日本語にはきっと存在していなくて世界のどこかにぽつんと存在しているかもしれないような、そんな概念 常に綱渡りをしてそれが成功しても失敗しても怒号が飛んでくるような地獄の時間に今は吐き気すら覚えるよ 過去の自分はずっとかわいそうなままだよ 過去のきみが慈しんでくれなかったから代わりに私自身が私を慈しむんだ また自分のことしか考えてないねって呆れる?それでも私はきみのことを愛していたんだよ 君にとっては掃いて捨てるほど価値のないものだろうけどね

昔書いた遺書 死ねませんでしたけど

これで良かったんだと思う反面、これから先生きていくことは死ぬことより苦しいと判断したため遺書としてこれを書くことにしました

 

なにから書けばいいのかわかりません あるいは、書くべきことなんて何も無いのかもしれません

彼と出会ったことが間違いだったのか、それとも彼でなくともそのうちこうなっていたのか、その判断は私には出来ません ただ死にたい気持ちと今でも彼が好きだという気持ちと虚無感のみがあります

私たちはお互いの気持ちを蔑ろにしながら今までを過ごしてきました たくさん気持ちをぶつけて言い合いをして、それでも最後までお互いを理解できませんでした それが途方も無く悲しいです

彼と付き合ってどうしようもなく人を好きになるという気持ちと一緒に自分のなかにどす黒い嫉妬や猜疑心があることを知りました もう二度と誰のことも好きになりたくないしなれないと思います 彼の絶縁するという選択は一般的には優しさの行為だと思いますが、私にとっては毒でした もしくは彼自体が毒であり、薬だったのだと思います

 

もうリストカットはしません 死ぬ時は確実に死ねる方法で死ぬつもりです 絶対に失敗しないように