最近よく昔のことを思い出す。私が今なぜ私であるのかということを考えると必ず頭をよぎる時期が存在する。何千回も泣いて手首には猫の引っかき傷が出来て一生分の執着を彼に捧げた。この頃から中途覚醒が顕著になって体重も減った。恋愛なんて眩しいものでは到底なくて、共依存の末の上下関係、というのが私たちには相応しかったと思う。間違いなくこの世の終わりにある淵の色をしていた。いつかは優しかった頃の彼に戻ってくれるはずって信じていたけど、優しかった頃の彼なんてのは彼自身が創り出した虚像に過ぎなくて、私はどこにも存在しないものをずっと信じて心の拠り所としていた。もちろん私が大好きだった彼は二度と戻ってくることはなかった。それでも私は断片的な彼を実体から見出しては泣いていた。他の全てを犠牲にしてもいいと本気で思っていたし、彼が今から死ぬから一緒に死のうと言ったらたぶん一緒に死んでいた。今の私からは考えられないよね、きっとね。彼にはカリスマ性があったんじゃないかな、私に効果てきめんの。知らないけど。もう二度と会うことも連絡したりされたりすることもない(連絡先を知らないので)し、今彼が生きてるのか死んでるのかもわからないしどうでもいいけど、それでももし連絡が来たら私は自我を保ったままでいられるか自信が無い。いや、ギリ私の自我が勝つんじゃないかな、という感じ。
そういう経緯でもう二度と誰にも執着も嫉妬もしたくなくて、穏やかでいたい。関係性として。一方で俺みたいな人間は子どもをつくらない方が良いと彼は言っていたけど、同じように私は誰とも一緒にいてはいけないとも思う。人格のすべてとは言わずとも根幹の部分が完全に侵食されてしまったような気がしている。

 

うーん、何が言いたいのかわかんなくなっちゃった。まあいっか。
私には関与できない関係性を持っている人と付き合っていくのって地味に傷つくんだよね。あと、年下なのに初対面でタメ口きいてくる奴は男女関係なく嫌い。